大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

宮崎地方裁判所 昭和64年(ワ)2号 判決

原告

浪越敞子

外二名

原告三名訴訟代理人弁護士

小城和男

被告

三原英三

右訴訟代理人弁護士

小倉一之

主文

一  被告は、原告浪越敞子に対し金三三三八万八一九二円、同浪越基成及び同浪越経吉に対し各金一六六九万四〇九六円ずつ、並びに右各金員に対する昭和六三年五月一三日から支払済みまで年五分の割合による各金員を対応原告らに、それぞれ支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決第一項は、原告浪越敞子から被告に対する関係では金五〇〇万円、原告浪越基成から被告に対する関係では金二五〇万円、原告浪越経吉から被告に対する関係では金二五〇万円並びにこれら各金員に対する昭和六三年五八月一三日から支払済みまで年五分の割合による各金員につき、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一原告らの請求

主文一、二項と同旨並びに仮執行の宣言

第二事案の概要及び争点

一本件は、原告敞子の夫で同基成及び同経吉の父であった亡浪越一志(以下「一志」という。)が医師である被告のいわゆる医療過誤により死亡したと主張して、一志の相続人である原告らから被告に対し、不法行為または診療契約上の債務不履行に基づき、次のとおりの損害賠償を求めるものである。

1  一志の逸失利益 四一七七万六三八四円

一志は、死亡当時四三歳で今後なお六七歳まで稼働できるとして、昭和六二年の年収三八五万〇三五八円を基準とし、生活費割合を三〇パーセントとみて新ホフマン係数15.500により算出すると、前記金額になる。

2  原告らの相続

原告らは一志の相続人のすべてであるところ、原告敞子は一志の妻として、その余の原告二名は一志の子として、それぞれ法定相続分に従い、右1の逸失利益を相続して、次のとおりの金額の損害賠償請求権を取得した。

(一) 原告敞子 二〇八八万八一九二円

(二) その余の原告ら 一〇四四万四〇九六円ずつ

3  原告ら固有の慰謝料

(一) 原告敞子 一〇〇〇万円

(二) その余の原告ら 五〇〇万円ずつ

4  弁護士費用

(一) 原告敞子 二五〇万円

(二) その余の原告ら 一二五万円ずつ

5  まとめ(損害賠償請求額合計)

(一) 原告敞子 三三三八万八一九二円

(二) その余の原告ら 一六六九万四〇九六円

(三) (一)、(二)の各金員に対する昭和六三年五月一三日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金

二事案の概要

当事者間に争いのない事実及び証拠(〈書証番号略〉、平野、浪越各証言、原告敞子、被告各本人)によれば、以下のとおり認められる。

1  一志、昭和一九年一二月一四日生まれで、昭和六三年五月一三日死亡するまで日通宮崎包装運輸有限会社に約二五年間勤務していた。被告は、宮崎市吉村町平塚甲一八七〇番地において三原外科病院(以下「被告病院」という。)を営む開業医で、当時被告病院は、右会社の指定病院であった。

一志は、昭和六一年五月二〇日及び二三日に被告の診察及び検査を受け、高血圧症、高脂血症、糖尿病、慢性肝炎と診断された。それ以来一志は、同六三年五月七日までの間に一箇月当たりおよそ七、八回の頻度で被告病院に通院していたが、同日の検査によれば、一志の中性脂肪は四六一、LAPは二一六、ガンマーGTPは一六〇で、それぞれ正常値を逸脱しているが、血圧(一四六mmHG―八八mmHG)等その他の検査値は正常であった。被告は、一志の慢性肝炎を、その飲酒癖等に照らし、当初から慢性のアルコール性肝炎であると診断していた。

2  一志は、昭和六三年五月一一日夕刻に二回吐血したので、同日午後七時四〇分ころ、原告敞子とともに被告病院に訪れ、被告の診察を受けたが、診察時に原告敞子は同席していなかった。一志は、被告の問診に答えて「先程黒褐色の嘔吐をした。今朝午前三時ころにも嘔吐したが、その時には血が混じっていなかった。」と述べた。被告は、一志の出血を上部消化管からのそれであると認識し、一志が胃潰瘍あるいは胃がんに罹患しているかも知れないと思い、同人の腹部を触診したが圧痛はなかったので、出血の原因となる疾患について、その可能性が高いと判断した出血性胃炎と診療録に記載し、当夜はとりあえず対症療法に止めて明日詳細な検査、診察をしようと考え、その場で肝臓の薬として強力ケベラG、アトモラン二〇〇mg、アデラビン九号、胃潰瘍の薬としてソルコセリル、ガスター、吐き気止めの薬としてプリンペラン、ナウゼリン、痛み止めの薬として消化管鎮痙剤コリオパンをそれぞれ投与したうえ、一志に対し胃潰瘍の疑いがあり明日検査するから来院するように話して、一志らを帰宅させた。なお、このとき一志は、自宅と被告病院との間を自ら自家用車を運転して往復した。

3  一志は、翌一二日、午前七時ころ三度吐血し、同八時三〇分ころタクシーで被告病院を原告敞子とともに訪れたが、タクシーの車内では一志は後部座席に横になったままであった。一志は、被告の問診に答えて「昨夜から今朝にかけて、合計四回の吐血と下血があった。」と述べたが、このときも原告敞子は立会っていなかった。被告は、一志を診察して、吐き気止めの薬であるトレステンを筋肉注射により投与し、同九時二〇分一志を入院させることにしたが、一志は顔面蒼白でストレッチャーで二階の病室に入った。被告は、同九時四五分ころ、同人に対し入院時の一般的な検査をしたが、それによると、血圧最高一二〇mmHG―最低四二mmHG、脈拍数一一四、呼吸数二四、尿糖プラスマイナス、尿蛋白マイナス、ウロビリノーゲン0.1(正常)、尿潜血マイナス、赤血球三二〇万個、白血球一万六五〇〇個、血色素量一〇g/dl。ヘモグロビン六二プロ、沈血二と四であった。このとき、一志は、タール便をもよおした。

被告は、一志に対し、五%のキシリトール五〇〇ccにビタノイリン、CVM、ワカデニン、アデラビン九号、タジン、トランサミンを加えた一本目の点滴を開始するとともに、側管で二〇%のキシリトール二〇cc、ソルコセリル、ブスコパン、プリンペラン、フエジンを、筋肉注射でベクタシン、ロメダを、それぞれ投与した。

これが終ると、引続いて一志に対し、被告の指示に基づき、ELS(乳酸リンゲル)五〇〇ccの二本目の点滴、五%のキシリトール五〇〇ccにケベラG二アンプル、アトモラン二〇〇mgを加えた三本目、フイジオゾール五〇〇ccの四本目の点滴、ELS五〇〇ccにタジン、トランサミンを加えた五本目の点滴が順次施行された。途中、一志が入院当初からしきりに喉の渇きを訴えるので、午前一一時二〇分ころに原告敞子が看護婦の許しを得て一志に清涼飲料水二缶を飲ませた。

被告は、午後二時過ぎ一志を回診した結果、午後二時二〇分にいまだ施行中であった右五本目の点滴にセジラニドを追加し、午後二時三〇分には一志に一五〇〇ccの酸素吸入を開始した。しかし、午後三時ころからの一志の容体は、顔面が一層蒼白となり、呼吸は荒く、胸もとなどに玉のような多くの汗をかいているのに手足は白く冷たくなっていた。午後四時ころに駆けつけた一志の母親である浪越ヒサノも一志の手足の冷たさに驚き、一志が「だらしい。だらしい。」としきりに訴えるので励ましながら身体をさすって介抱したが好転せず、午後五時ころには一層大量の汗をかきそれは拭いても拭いても追いつかない程のものであった。そして、なおも「だらしい。だらしい。」と訴えるとともに喉の渇きをも訴えて、原告敞子らの励ましと介抱にもかかわらず、手足を盛んに動かして身の置き所もない有様であった。

一方被告は、午後四時四五分に測定した血圧値を斟酌してなお施行中の前記五本目の点滴に昇圧剤エホチールを追加したが、午後六時過ぎころ四度目の回診をして、デキストラン40.500ccにセジラニド、エホチールを加えた六本目の点滴を実施、その後、コントミン、ヒベルナ、オピスタンを筋肉注射により投与し、さらにデキストランL・五〇〇ccの七本目の点滴を施行した。

被告は、入院中の一志に対し、午前九時二〇分、同一一時三〇分ころ、午後二時過ぎころ、同六時過ぎころ回診して前記のような処置を施したりしたが、その後は回診することなく、翌日午前零時ころ、看護婦から一志の容体について異常なしとの報告を受けるに止まった。

ところで一志も翌日午前一時三〇分ころになってこれまでに身体を動かしていたのが静かになったので、付添い看護していた原告敞子は一志の容体が落ちついたものと思ったところ、午前二時ころになって、一志が異常に大きな鼾をかいた後、鼻と口から出血した。看護婦から一志の容体が急変した旨の報告を受けた被告は、同人のベッドに駆けつけ、同人に対し人工呼吸を開始し、テラプチク、ビタカンファー、セジラニドを筋肉注射により投与したが、一志は、同二時四五分死亡した。被告は、一志の死亡診断書(〈書証番号略〉)に同人が慢性肝炎を原因とする食道静脈瘤破裂により死亡した旨記載している。

4  被告は、その死因を究明するため、原告敞子らに一志の遺体を解剖するよう勧めたが、原告敞子らはこれを断わった。同日午前五時ころ、原告敞子らは一志の遺体を自宅に引き取ったが、一志の遺体の鼻からの出血が止まらず原告敞子らの手に負えなくなったため、被告病院にその旨連絡して被告病院の看護婦平野れい子他一名らに来てもらい、脱脂綿を何度も取り替える等して止血しなければならなかった。

5  なお、一志の入院中における脈拍、呼吸、血圧の推移は末尾添付の別表記載のとおりである。

6  以上の経過を概括すると、一志は、昭和六三年五月一一日夕刻に吐血して、間もなく被告の診察を受けた後、翌日から被告病院に入院して被告の治療を受けていたが、上部消化管からの大量の出血によりショック状態に陥り、入院後約一七時間二五分後に死亡したということである(この出血が上部消化管以外からのそれと窺わせる証拠は全くない。)。

三原告の主張

1  本件は、被告が一志の上部消化管からの大量の出血を看過し、従ってこれに対する適切な措置をとることができず、漫然と時間を徒過してついには一志を失血死するに至らしめた事案である。

即ち、被告は、昭和六三年五月一一日午後八時ころ、大量の吐血を訴えて被告を訪れた一志を診察し、このとき一志に上部消化管出血のあることを認識しながら、これに対応する適切な措置をまったくとらなかった。上部消化管出血患者に対しては、急激に重篤化して不可逆的な出血性ショック状態に移行することを防止するため、まず輸血、輸液などによるショック防止策と出血源に対する止血策とを中心に治療すべきであり、これが外科、内科の診療に携わる医師の一般的知見である。しかるに被告は、上部消化管出血患者の救命、治療についての知識、技術に欠けていたためか、次の2ないし6に述べるようにいくつもの過失を重ね、一志を死亡させてしまったのである。

2  緊急検査・治療義務の懈怠

被告は、一志が大量の吐血を訴えており、しかもそれが上部消化管からの出血であると認識し、あるいは認識しえたのであるから、すみやかに内視鏡などにより出血源を検索し、止血のための治療を施すべきところ、同年五月一一日夜にはおよそ見当違いな投薬をしたのみで「明日検査する。」といって一志を帰宅させ、翌朝には帰宅後合計四回もの吐血、下血があったとの一志の訴えにも注意を払わず、ついに出血源の検索をせず、従って有効な止血策もとらないままに終った。

3  出血量推定義務の懈怠

上部消化管出血患者を不可逆性ショックに移行させないためには低血圧状態を極力防止する必要があり、それには問診を尽くし、バイタル・サインをチェックし、理学的所見などをも考慮して出血量を推定し、輸血の必要量を指示できるようにしておくべきである。しかるに被告は、出血量推定の重要性についてまったく無関心で、これをしようともしなかった。

4  輸血義務の懈怠

一志は、入院直後の一般検査の結果に照らすとき、既に出血性ショックの状態にあったものであるところ、被告は、出血量推定の重要性に無頓着であったことから一志が既に大量の出血をしてショック状態にあることを看過し、従って輸血を必要とすることを認識できず、これをしないままに終った。

5  転院義務の懈怠

被告は、これまでに上部消化管出血患者の治療にあたった経験がなく、またそれに適切に対応する知識、技術に欠けていることを自覚していたはずであるから、このような場合、他の高次医療機関に転院させる義務があるところ、これをしなかった。

6  説明義務の懈怠

被告は、医師として一志やその家族である原告らに対し、一志の症状、病名を告知、説明するほか、自己の技量ではこれらを適確に判定できず、従って今後の対応に疑問が生じたときにはこの旨を告知、説明し、一志らにこのまま被告のもとで治療を続けるか他へ転院するか考える機会を与えるべき義務があるのに、事態を憂慮した原告敞子らの問いかけに対して曖昧なことを答えるばかりであった。

四被告の反論・主張

1  原告らは、被告が吐血を訴える一志を治療する過程で一志に上部消化管からの大量の出血があったことを認識したか、あるいは認識しえたということを前提に、被告に過失のあることを種々主張する。

なるほど、一志が吐血を訴えたことはそのとおりであるが、それは原告らが主張するような「大量」の吐血を訴えたものではなく、五月一一日の訴えは「午後六時ころ黒褐色の吐血があった。その前に同日朝三時に嘔吐はあったが血液は混じっていなかった。」というもので大量の出血を窺わせるものではなく、翌日の来院時の訴えも格別大量の出血を想起させるものではなかった。そして、入院直後の午前九時四五分にタール便を見たものの、その後は吐血、下血もなく、血圧測定の結果(別表参照)に照らしても特段の出血があったとは考えられない。

大量の出血は、結果として判明したことであって、被告が治療の過程でこれを発見できなかったとしてもこれを発見すべき手がかりがなかったのであるから、やむをえないことである。

2  このように被告は、一志に「大量」の出血のあったことを知らなかったし、また知りえなかったのであるから、これを前提とする原告らの主張はすべて失当である。被告は、一志の既往歴である慢性のアルコール性肝炎に配慮しながら、当面の一志の症状を落ちつかせたうえでさらにより徹底した検査、治療をしようとしていたのであって、その治療過程に過誤はない。

五争点

1  一志の出血状況はどのようなものであり、被告はこれを知り、あるいは知りえたか。

2  被告に一志に対する診療行為について原告ら主張の過失が認められるか。そして、この過失と一志の死亡との間に相当因果関係があるか。

3  原告らが被告に請求しうる損害額はいくらか。

第三争点に対する判断

一争点1(一志の出血状況等)について

1(一) 前記第二・二・3において認定した事実、証拠(〈書証番号略〉及び被告本人)によれば、正常な人間の赤血球の数は約四五〇万ないし五六〇万個、ヘモグロビンの数値は九〇ないし一〇〇プロであるのに対し、入院検査時(昭和六三年五月一二日午前九時四五分ころ)の一志の赤血球の数及びヘモグロビンの数値は、それぞれ三二〇万個、六〇プロであり、また正常な男子の血色素量は13.5ないし17.5g/dlであるのに対し、入院検査時の一志のそれは一〇g/dlであったこと、従って、これらの数値のみからしても、入院検査時に既に一志は相当量の出血をしていたと想定されること(現に被告もそのように想定した旨供述する。)、以上の事実が認められる。

さらに証拠〈書証番号略〉によれば、人間の循環血液の量はその体重の約一三分の一または約7.7%であると推定されるところ、入院時の一志の体重は七〇kgであったというのであるから、これらの資料によるとき、一志の入院時における本来あるべき循環血液量は約五四〇〇ccになる。そして証拠〈書証番号略〉によれば、一般に脈拍数が一分間に一〇〇回以上で皮膚が蒼白になった場合には一〇〇〇cc以上の出血が想定され、最高血圧が八〇ないし一〇〇mmHGで脈拍数が一分間に一一〇回以上になった場合では循環血液量の約三〇%の出血が想定されることが認められるところ、前記第二・二・3及び5において認定したとおり(なお、末尾添付の別表参照)、入院時の一志は既に顔面蒼白でその脈拍数は一分間に一一四回で、最高血圧は一二〇mmHGであり、同日午後一時二〇分の脈拍数は一分間に一三二回で、最高血圧は九二mmHGであったのである。

右認定事実と前記第二・二において認定した一志が前日夕刻に吐血してから後翌日入院するまでに計四回の吐血と下血を繰返し、入院後一回のタール便を記録している事実を総合すれば、前日夕刻から翌日午後一時二〇分までの間に、一志の総出血量が、一〇〇〇ないし一六〇〇ccに達していた可能性を否定しえないというべきである。

(二)  ところで証拠〈書証番号略〉によれば、一般に出血によるショックに伴う症状として、皮膚の蒼白、虚脱、冷汗、脈拍触知困難、呼吸促迫、尿の減少の各徴候がみられることが認められる。

そして前記第二・二・3の認定事実及び証拠〈書証番号略〉によれば、一志は、同日午前八時三〇分ころ、タクシーの後部座席で横になって被告病院へ駆けつけ、タクシーから降りてから被告病院の待合室までは歩くことができたものの待合室では長椅子に横になっており、既にその顔面は蒼白であったこと、被告はこのとき、一志を診察すると直ちに入院が必要であると判断し、一志を一階から二階の病室へストレッチャーで移動させたこと、一志は、入院してから午前一一時二〇分ころまでの間にしきりに喉の渇きを訴えており、入院後の尿は午前九時四五分と午後七時五〇分の二回記録されているにすぎないこと、被告は、午後二時過ぎころ一志を回診したが、一志の呼吸が荒くなっていたので午後二時三〇分ころに酸素吸入を開始したこと、午後三時ころになると、一志は、顔面が一層蒼白となり、呼吸は荒く、玉のような多くの汗をかいているのに手足は白く冷たくなっていたこと、以上のとおり認められる。

これらの認定事実に照らすとき、一志には入院時に既に出血によるショックに伴うといわれる諸症状の一部が現れており、それは時間の経過とともにより多くなって、同日午後三時にはその症状は一層重いものとなったといって差し支えがない。

(三)  右(一)及び(二)の認定説示によれば、一志は、遅くとも同日午後三時には、大量出血によるショック状態に陥ったというべきである。

被告は、同日午後一時二〇分までの一志の出血は少量で、同日午後三時には未だショック状態に陥っていたとはいえない旨供述するが、右供述は前掲各証拠に対比して到底採用できない。

2  以上の認定説示によれば、一志は、昭和六三年五月一一日夕刻から、上部消化管からの出血が始まり、同月一二日午後一時二〇分までには一〇〇〇ないし一六〇〇ccの大量出血をしていたことの可能性を否定できず、遅くとも同日午後三時には大量出血によるショック状態に陥っていたというべきである。

3 そして、一志は、前記第二・二・6に説示したとおり、右の大量の上部消化管出血により出血性ショックの状態に陥り、よって死亡したものであるところ、証拠(〈書証番号略〉、被告本人)によれば、上部消化管出血をもたらす疾病は数も多く多彩であるが、上部消化管出血の原因となる主な疾患としては、消化性潰瘍(胃潰瘍、十二指腸潰瘍)が五〇ないし七〇パーセントを占め、他に食道静脈瘤、急性びらん性胃炎、胃がん、マロリー・ウィズ症候群等が挙げられていることが認められるから、これによると一志もこれらの疾患に由来する大量の出血により死亡した可能性が高いと考えられる。しかし、一志の遺体の解剖等がなされていない本件においては、これ以上に原疾患を性格に判断することは困難である(なお、被告が一志の死亡診断書に直接死因として「食道静脈瘤破裂」と記載していることは前記第二・二・3に認定したとおりであるが、他方、被告は後に一志の出血原因が食道静脈瘤破裂による可能性は極めて低い旨供述していることを斟酌すれば、一志の出血の原疾患が食道静脈瘤であると断定することはできない。)。

二争点2(被告の過失の有無)について

1 前記第二・二に認定したとおり、一志は、昭和六三年五月一一日夕刻に二回吐血したので、同日午後七時四〇分ころ原告敞子とともに被告病院を訪れ、被告の診察を受けたものである。

証拠(〈書証番号略〉原告敞子本人)によれば、一志及び原告敞子は、右吐血の量について丼一、二杯はあったかのように話し合っており、いずれにしてもそれはそれなりに相当多かったと認識していたことが認められる。

他方、前記第二・二・2に認定した事実及び証拠(〈書証番号略〉及び被告本人)によれば、被告は、右一志の問診に対する答が、同日午前三時ころの嘔吐に血液が混じっていなかったこと及びその夕刻の嘔吐の色が黒褐色であったことから、この黒褐色の嘔吐が上部消化管からの出血であると認識しながらも既にこの出血は止まっており、その量もそれほどのものではないと判断して、それ以上に問診をして出血量を知ろうとはせず、今直ちに検査等をして一志の容体を詳しく調べなくても大事に至らないと考え、その黒褐色の出血の量についてはそれ以上には関心を払わずその診療録にこれを記載せず、従ってまた、出血量推定に必要な諸資料を収集するための血液検査等の検査は何もしなかったこと、このようにして被告は、右の出血量もたいしたことはなく、しかもその出血は止まっていると判断して一志に対する治療に当たることとなったが、腹部に圧痛がなかったことから出血性胃炎と診断し、一志の病状が急激に悪化することなど全く予想することなく、肝臓、胃潰瘍、吐き気止め、痛み止めの薬をそれぞれ投与したうえ、明日検査するから来院するよう同人にいってそのまま帰宅させたこと、以上の事実が認められる。

ところで、一志の右の黒褐色の嘔吐が上部消化管からの出血であり、被告も当初からそのように認識していたことは、これまでに認定、説示したとおりである。そして証拠〈書証番号略〉によれば、上部消化管出血の患者の治療に当たっては、その疾病の性質上急激に重篤化してショック状態に陥っていく危険を常に孕んでいることから、まず患者のバイタル・サイン(脈拍、血圧、呼吸、体温)と全身状態を迅速、細心の注意を払って観察し、加えて血液検査等を実施して、重症度即ち出血量を速やかに判定し、その病態に即応した治療を施すことが要請され、かかる要請は上部消化管出血の患者の治療に当たる医師としては当然に認識していなければならないといっても差し支えのないことが認められる。

そうすると、このように上部消化管出血は早期の的確な診断と緊急治療を要するいわゆる救急疾患のひとつであるから、かかる患者の治療に当たる医師には、急激に重篤化していくこともある可能性を念頭において、直ちに出血量に関して十分に注意を払ったうえで問診を行い、出血量の判定の資料を提供すべき血液検査等をなすべきであるという注意義務があるといってよい。

しかしながら右に認定したとおり、五月一一日午後七時四〇分ころから一志の治療に当たった被告は、一志に上部消化管出血があると的確に診断しながら、これによって一志が急激に重篤化することがあるとは全く予想せず、その出血の量についてもそれほど関心を払わず、従ってその量を知るための血液検査等を行うことなく、簡単な問診からその量はたいしたことはないと判断した(このように出血量に対する関心が低いことは、前記一の争点1に対する認定説示に照らすとき、被告の一連の治療経過における特徴である。)のであるから、このような被告の行為は、上部消化管出血の認められる患者の治療に当たる医師に要求される右注意義務に違反している、といわざるをえない。もしも、被告が右注意義務を尽くして一志に対して丹念に問診を行っていれば、先に認定したように一志と原告敞子は吐血の量について丼一杯か二杯分あったと話し合ったぐらいであるから、同人からその吐血の量について丼一杯とか二杯とかの答を引き出し、たとえその正確な量を知ることは困難であったとしても、それがすぐには看過できない程の相当多量の吐血であった可能性を認識することができたと認められ、従って一志が翌日急激に重篤化していく可能性を認識することも可能であったというべきである。

もっとも、右認定の五月一一日当日の被告の診療経過に照らすとき、被告は、当日夕刻の一志の嘔吐物が黒褐色であったことから上部消化管からの出血はこのときには止まっており、従ってその場で直ちに対応処置をとらなくても差し支えはないと判断したのであるが、それはそのときに偶々出血が止まっている可能性が高いということ以上を出ないもので、上部消化管出血が辿ることのある前記認定の急激な転帰にかんがみると、被告の右の判断が相当であるとかやむをえないものであるとかというわけにはいかない。

2 さらに証拠〈書証番号略〉によれば、上部消化管出血の場合、出血部位、病変の早期診断、露出血管の有無、出血の持続性、治療方法の選択、予後の判定等の目的で、循環動態が安定したあとには処置の第一として速やかに内視鏡検査を行うことが一般化しており、これにより出血部位の確認、出血の持続の有無、再発出血の危険の有無を知ることができ、合わせて内視鏡的止血法が開発されてからは、その診断、治療に抜群の成績をあげていることが認められるうえに、証拠〈書証番号略〉によれば、吐血・下血を主訴とする消化管出血は日常の臨床において遭遇する機会の多い病態のひとつであり、しかもその消化管出血の七〇ないし八〇パーセントが上部消化管出血であるから、このような患者の診察に当たる医師としては、まず上部消化管出血を疑って診療に取組むべきであることも認められ、これら認定事実に、既に右1において認定したように上部消化管出血はその疾病の性質上急激に重篤化してショック状態に陥っていく危険を常に孕んでいる救急疾患のひとつであるという事実を合わせ考えると、日常の臨床において医師が上部消化管出血の疑いのある患者にどのように対応するかについてそれ相応の知識を持ち合わせているべきものと期待してよく、従って上部消化管出血の患者を診察する医師一般には、当該患者の循環動態が安定している場合、速やかに内視鏡検査を行い、出血部位及び病変の早期診断、並びに治療方法の選択等をなすべき注意義務があると断じてもよいと考える。

ところが証拠(被告本人)によれば、被告は内視鏡検査の技術を習得していないことが認められるから、この認定事実によるとき、被告は、右説示の速やかに内視鏡検査を行うべき義務を果そうにも果すことができないことにならざるをえないが、このように相当程度に上部消化管出血が疑われる患者の治療に当たる医師が内視鏡検査の技術を習得していない場合には、当該医師はその患者を診察すると直ちに、かかる検査、治療が可能な高次の医療機関へ移送すべき注意義務があり、かつこれを履行することを以て足りるというべきである。

これを本件についてみるに、前記認定のとおり、被告が内視鏡検査の技術を習得していない医師でありながら、これらの検査が可能な高次の医療機関に移送しなかったことは第二・二の認定事実に照らして明白であるから、被告は、直ちに内視鏡検査、治療の可能な高次の医療機関へ一志を移送すべき注意義務に違反したものと認めるのが相当である。

3  次に、被告が右の1及び2に説示した注意義務を尽くしていれば一志に死亡という結果が生じなかったかどうか、即ち被告の過失と一志の死亡という結果の間に因果関係が存在するか検討する。

右1及び2の説示に照らすと、被告が一志の出血量を知るための注意義務を履行していたならば、一志が進んで内視鏡検査等を要する状況にあり、従って、直ちにより高次の医療機関に移送して治療を続けるべきであったことが明らかになったはずである。

そして、証拠〈書証番号略〉によれば、被告が右注意義務を尽くして昭和六三年五月一一日の時点で一志を内視鏡検査の可能な高次の医療機関へ移送していたとすれば、一志に対して、右の医療機関の医師により直ちに内視鏡検査により出血部位及び病変の早期診断がなされ、その病状に応じて内視鏡的止血法が試みられ、その後必要ならば、待機手術に移行して治療がなされたであろうことが推認される(なお前記第二・二・2に認定したとおり、当日の一志は自家用車の運転が可能であったのであるから、同日の時点で一志の循環状態は安定しており、その出血も内視鏡的止血法により止血することが不可能な大出血で、緊急手術を必要とする場合であったとは考え難い。)。

そして、内視鏡的止血法が開発されてからは、その診断、治療に抜群の成績をあげていることは前に説示したとおりであるところ、証拠〈書証番号略〉によれば、内視鏡的止血法には熱性凝固法と局注止血法があり、前者にはレーザー法、高周波法、マイクロ波法、ヒータープローベ法が、後者には高張Naエピネフリン法(HSE法)と純エタノール法(ETH)があること、これらの止血法の文献上の平均成功率は、レーザー法八六%、高周波法八九%、マイクロ波法九三%、ヒータープローベ法はレーザー法より有効、高張Naエピネフリン法(HSE法)八六%、純エタノール法九三%であり、いずれも高い成功率であるといえること、さらに上部消化管出血の約半数を占める消化性潰瘍に関して、待機手術の死亡率は5%(なお、緊急手術の死亡率は一〇ないし27.9%である。)にすぎないこと、以上の各事実が認められる。

右認定事実を総合すれば、被告が昭和六三年五月一一日の時点で一志の出血量のおよそを知って、同人を内視鏡検査の可能な高次の医療機関へ移送していたならば、この医療機関の医師により直ちに内視鏡検査がなされ、その病状に応じて内視鏡的止血法が試みられ、ひいては、一志は死亡を免れたであろうことが、確実であるとはいえないとしても、その蓋然性が極めて高いと認められる。

そうすると、被告の説示の一連の過失と一志の死亡の結果との間には、法律上の相当因果関係が存在するというべきである。

4  以上の認定説示によれば、被告は、不法行為に基づき、一志や原告らが被った損害を賠償すべき責任がある。

三争点3(損害)について

1  逸失利益

証拠〈書証番号略〉によれば、一志の死亡時の年令は四三歳で、同人の昭和六二年の年収は三八五万〇三五八円であることが認められ、この事実によるとき、一志は右のように死亡することがなければ今後なお二四年間就労が可能であり、その期間右の年収を下らない収入を得ることができるところ、証拠〈書証番号略〉によれば、一志には妻子ら五人の被扶養者がいるから右の全期間にわたる生活費として収入の三割を必要とするのが相当であり、これに新ホフマン係数15.500を採用のうえ中間利息を控除して算出すると、一志の逸失利益は、四一七七万六三八四円(円未満切捨て。)となる。

証拠〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、原告らは一志の相続人の全員であり、原告敞子の相続分は二分の一、同基成及び同経吉のそれは各四分の一であると認められる。

そうすると、一志の右逸失利益について、被告に対し、原告敞子は二〇八八万八一九二円、同基成及び同経吉は各一〇四四万四〇九六円を、それぞれ請求できることになる。

2  慰謝料

原告らを慰謝するためには、本件記録から窺うことのできる諸事情を総合すれば、原告敞子に対して一〇〇〇万円、同基成及び同経吉に対して各五〇〇万円ずつの支払をもってするのが相当である。

3  弁護士費用

本件記録から窺われる諸事情を総合すれば、被告に対して請求できる弁護士費用は、原告敞子について二五〇万円、同基成及び同経吉について各一二五万円をもって相当とする。

4  以上によれば、被告に対して、原告敞子は三三三八万八一九二円、同基成及び同経吉は各一六六九万四〇九六円並びにこれらに対する損害が発生した昭和六三年五月一三日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金をそれぞれ支払うよう請求できる。

四結論

以上の認定説示によれば、その余の原告ら主張の被告の過失の有無について検討するまでもなく、原告らの本訴請求はいずれも理由がある。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官近藤敬夫 裁判官渡邊雅道 裁判官鹿島久義)

別表〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例